2018年7月3日
ABOUT ” NIPPON.V.TWIN CLUB “
NIPPON.V.TWIN CLUB
先日、当店で60周年記念パーティが盛大に行われたNIPPON.V.TWIN CLUB.
バイクを愛するメンバーさんで構成される、60年続く歴史あるクラブであることはもちろん知っていました。
だからもう少し詳しくお話が聴きたくなり、最古参メンバーの坂上さんに当時の様子、バイクのこと、思い出と色々聞いてみました。
坂上 和司さん。
メンバー最古参であり、キュロスの常連様。
本日はわざわざお越しくださいました。
Comment
- 結成は1958年。実は戦前から続くクラブは当時再結成だった。
-
実は戦前に結成されていたNIPPON.V.TWIN CLUB、戦争中は活動ができずに一度解散していた。
戦後、1958年に再結成され今年で結成60年を迎えた。
Interview
- qroth
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坂上さんは再結成当時からのメンバーなんですか?
- 坂上さん
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いや、1958年当時、私はまだ17歳だったから。
加入したのは4年後の1962年、21歳の頃だったね。私がバイクに乗り始めたきっかけは、中学2年生、まだ14歳の頃。
ホンダのベンリーを新車で買って、学校に乗ってきた同級生がいたんだ。
どこかの会社の社長の息子で、それがとても羨ましくて。
なんせ当時は新車のバイクを買える人なんて限られていたからね。
同級生みんなでそいつに「貸せ貸せ」って言って、運動場でそいつのバイクに乗ったんだよ(笑)
その時、初めてバイクに乗ったんだけど、とても面白いなーと感じたね。
できる限り自分の趣味はバイクにしようと、この時思ったね。
- qroth
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初めて買った自分のバイクは覚えていますか?
- 坂上さん
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はじめて自分のバイクと言えるものに出会えたのは中学2年生。
当時は14才でバイクの免許が取れて、125ccまで乗れましたね。免許をとったら親戚の叔父さんが、バイクをくれたんですよ。
90、125cc。どっちだったかな?
HONDA ベンリー。
黒色の商用車。すごく嬉しかったね。
当時は遊ぶためのバイクなんてなかったんだ。
商用車や実用的なバイクばかり。
遊びで乗るバイクといえばね。
実家の仕事の手伝いで大阪の松屋町筋まで、当時はよくバイクで行っていたんだ。
そこの近くに大型バイクやハーレーを置いているお店があってね。
「船場モーターズ」
学生の私が気軽に中へ入れるお店じゃなかった。
若造が入っていったら、何しに来たんだって言われてしまいそうな雰囲気があった。
でもいつも大阪へ行くと、店の前までは行ってましたね。
ハーレーなんかを見るだけだったけど。
- qroth
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NIPPON.V.TWIN CLUBに加入したきっかけを教えてもらえますか?
- 坂上さん
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きっかけは紹介してもらったんです。
同い年のハーレー乗りでした。彼との出会いは私が21歳の時、実家の仕事を手伝っている時でした。
176号線を豊中に向かって、当時私が乗っていたTRIUMPH(トライアンフ)の650で走っていった時にね。
遠ーく向こうから、対向車線を走るハーレーが見えてきてね。
すれ違うぞ、すれ違うぞ。
どんな奴が運転しいるのか、顔を見てやろう。そんなことを思いながら、お互いの距離が近づいてきて、すれ違いざまにお互いが顔とバイクをみながらすれ違ったんです。
相手も私のことが気になっていたみたい。
当時はTRIUMPH(トライアンフ)に乗っている人も珍しかったんじゃないかな。
しばらく走っていると、さっきすれ違ったハーレーがUターンをして戻ってきて、私に声をかけたんだよ。
「おい、一緒にお茶でもせーへんか?」
いきなり声をかけられてね (笑)
当時そんな大型の外国車に乗っている人は珍しくて、お互い相手に興味があったんだと思う。
たまたま同い年の21才、名前は溝口と言ってね。
そこで溝口からNIPPON.V.TWIN CLUBの存在を初めて教えてもらいました。
しかもNIPPON.V.TWIN CLUBの拠点が、あの子供の頃に憧れた「船場モーターズ」だって言うんでね。
ああ、知ってる知ってる。
なんて(笑)ずっと入りたくてしょうがなかったお店なのにね。
そして溝口から「もしよかったら、一緒に走ろう」と誘われたんだ。
溝口は2年ほど前に亡くなっちゃってね。
出会ってから、ずっと一緒に走っていたよ。
- qroth
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当時のメンバーさんやクラブの様子はどんな感じでしたか?
- 坂上さん
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人数は14名~15名。
40代くらいのメンバーが多かったですね。
乗っているバイクはサラリーマンでは到底買えない様な金額のバイクでしたから、商売をしている人が多かったな。
1960型のハーレーはね、戦後日本に初めて正規輸入されたもので、当時で100万円 。
100万円で当時は家が買えたからね。
ドルが360円の時代。
TRIUMPFも50万円くらいだったんだよ。
給料が1万5000円くらいの時代だったし。
イギリス車で当時世界で一番早かったバイクがTRIUMPF。
乗っていて、とてもて楽しいバイクですよね。
NIPPON.V.TWIN CLUBは毎月土曜の晩にクラブのミーティングがありました。
次はどこを走るのか、みんなで話し合ったり。
場所はいつも「船場モーターズ」の隣にあった
喫茶店”みよしの”
今はもう無くなっちゃいましたね。
14名ほどのメンバーが大幅に増えることはなかった。
加入してもすぐにやめてしまう人もいてね。
バイクが好きで走るだけ。
細かい決まりなんてなかった。
それは今も当時も変わっていないね。
- qroth
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思い出に残っているエピソードはありますか?
- 坂上さん
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年に1回は今でも一泊二日程度の遠出をしています。
みんな商売をしているので、お盆や正月休みを利用していました。
北九州1周が一番遠方の遠征でしたね。
女性のメンバーも時々加入していました。
でもよく続いても6年ほどだった。1回だけ一緒に走って辞める方もいたなぁ。
私が1962年に加入して63年5月に箱根の十国峠まで走りました。
金曜の夜に豊中インターに集合してから出発。
当時は滋賀県の栗東までしか高速道路が通っていなかったから、そこからは1号線を夜中ひたすら走った。
1晩で箱根まで走ったね。
十国峠について、写真を撮ってそのままターンして帰ったんだけど。
浜松まできた時に、一人が運転をしながら居眠り 始めちゃって(笑)
浜名湖の近くで一泊することになってね。
ボートレース場の横の旅館だったかな。
それが初めての一泊でいくツーリングだった。
10台くらいでいったんだけど、国道1号線も当時は夜でも給油できるところが多かった。
夜の国道1号線は道も空いていたから飛ばし放題(笑)
そりゃ悪いエピソードはたくさんあるよ。
このクラブに入らなかったら、私はバイクに乗らなかったかもしれない。
走る以外でも仲間と仲が良かった。
- qroth
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バイク乗りに何かメッセージはありますか?
- 坂上さん
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バイクは今のバイクはよくできている。
楽しんだらいいと思う。
古いバイクの良さは乗ったら分かるから。
一度乗ってみてほしい。それと今は個人で走る人が多くて、みんなと一緒に走りたがらないんじゃないかな。
個人で走ると面白みは半分になると思います。
みんなと一緒に走ると自分の腕が上がるし、物の見方も変わる、仲間やいろんな人とも出会いもあります。
バイクに乗ればみんな一緒。
一つの目的に向かって走れる、年齢も性別も関係ない。
バイク乗りはフレンドリーだからね(笑)
初めて会ったとしても、すぐに会話が弾むんだよ。
すれ違う時には手をあげて挨拶する人たちもいるしね。私がこのクラブに出会ったのも、溝口が気軽に声をかけてくれたおかげだからね。
みんなと走る楽しさ、バイクに乗っている人へ伝えたいですね。
writer gap755
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